ひとごとだと思ってました。~子宮頸がん治療から妊活するぞ日記~

イラスト制作をしているせとゆきこが、本厄の年に子宮頸がんを患っていることが発覚。涙もあるけど笑いも多い治療ライフとその後をご紹介します。

イロイロあり過ぎました

f:id:setoyuki62:20131212000332j:plain:left久々の通院の日。3ヶ月ぶりでございます。今回もおかげさまで問題ありませんでした。で、前回問題なければ半年後に…という話が、いろいろあって4ヶ月後に。トホホ( ; ̄ω ̄)でもまぁ前よりは間が長くなるし、悪くはなっていませんよ。
それにしても前の通院日からの日々を振り返ると、いつも以上に私の人生を揺るがす大きなことがたくさん起きました。
まずは私の身の上からいくと、毎日の寝食を共にする相方さんができたこと(゚∀゚) なんとまぁ、この私が…です。この際せっかくですから私のちゃらんぽらんながらも愉快なキャラクターを引き継ぐ二世を残していきたいという悪巧みを企画中。相方さんと相談をしております。そんなこともあって、相談を兼ねて通院は4ヶ月後というのもあるのですが。これで先生から結婚の質問攻めはなくなるけれど、もう種はついたかという質問に変わるだけなんだろうな(´▽`;) そんな訳なので、悪巧みがうまく進むようであれば、このブログでも少し紹介できればと考えています。
そして、何よりも悲しかったことがひとつ。
入院時に同室で退院後も交流をさせていただいていた方が亡くなってしまったこと。私と1つしか違わない歳なのに、子供さんやステキな旦那様もいて、幸せにステキな家族でい続けるはずであっただろうに…。再発を繰り返し、熱心な治療もされていましたが、残念ながらその甲斐なく、完治することなく帰らぬ人となってしまいました。葬儀に参列させてもらい、苦しみから解放された顔を出棺前に拝見した時には、ただただ涙するばかりでした。こういう環境下で出会う人は、ただの友人としてではなく「戦友」と言ってもいいでしょう。全く同じではないけれど、治療の苦しみ、その中でも見出す楽しみを共有してきたわけですから。
若くしてがんで亡くなるということは、珍しいことではありません。ただ、自分のごく身近でこういうことが起こると、やはりがんを完全に治すことの難しさを痛感し、より深い悲しみを覚えます。どういう縁あってか、まだこうして生きている私には、身近な人に体をいたわることを伝えるだけしかできないことが歯がゆい気がするのです。